マインドフルネス仏道

マインドフルネスが続く習慣へ:仏教の智慧「精進」の視点

Tags: マインドフルネス, 仏教, 精進, 習慣化, 継続

マインドフルネス、続けることの難しさと、仏教の「精進」という視点

マインドフルネスは、日々の生活に平穏や気づきをもたらし、ストレス軽減や集中力向上に役立つと言われています。その効果に魅力を感じ、実践を始めてみたという方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、いざ始めてみると、「なかなか続かない」「習慣にならない」といった壁にぶつかることも少なくありません。忙しさにかまけて忘れてしまったり、効果がすぐには感じられず飽きてしまったり、完璧にやろうとして挫折したり。心当たりのある方もいらっしゃるかもしれません。

仏教には、「精進(しょうじん)」という大切な教えがあります。この言葉を聞くと、「根性を出して頑張り続けること」というイメージを持たれるかもしれませんが、仏教における精進は、それとは少し異なります。仏教の視点から「精進」を理解することで、マインドフルネスを穏やかに、そして着実に続けていくためのヒントが見えてきます。

仏教における「精進」とは?:単なる努力根性ではない智慧

仏教で説かれる「精進」(パーリ語ではヴィーリヤ viriya)とは、怠け心を離れ、善い行いを積極的に行い、そしてそれを継続していく心の働きを指します。これは、単に苦しい努力を強いられるものではなく、より良い自分、より穏やかな心を目指すための前向きなエネルギーのようなものです。

特に、仏教では四つの側面での「精進」が語られることがあります。

  1. まだ生じていない悪(不善の心や行い)を、生じさせないように努めること。
  2. 既に生じてしまった悪(不善の心や行い)を、取り除くように努めること。
  3. まだ生じていない善(良い心や行い)を、生じさせるように努めること。
  4. 既に生じている善(良い心や行い)を、さらに育て、継続するように努めること。

このように、仏教の精進は、「良くないものを断ち、良いものを育み、それを続ける」という非常に実践的な考え方に基づいています。この考え方を、マインドフルネスの実践にどう活かせるかを見ていきましょう。

「精進」の視点からマインドフルネスを継続するヒント

仏教の「精進」の考え方を取り入れることで、マインドフルネスを「続けられない」という悩みから抜け出すヒントが得られます。

1. 完璧を目指さない「少しずつの精進」を大切にする

マインドフルネスを始めると、「毎日20分座らなければ」「雑念があってはダメだ」などと考えてしまいがちです。しかし、仏教の精進は、初めから完璧な状態を目指すものではありません。大切なのは、「少しずつでも良いから続けること」です。

例えば、今日はお皿を洗っている間だけ呼吸に意識を向けてみる、電車の中で目を閉じて数回呼吸を観察してみる、など、日常生活のほんの数分、あるいは数十秒から始めてみましょう。

「まだ生じていない善(マインドフルな時間)を、生じさせるように努める」という側面から見れば、短い時間でも意識的に「今、ここ」に注意を向ける時間を作ることは、立派な精進の実践です。無理なく続けられる小さな一歩から始めることが、習慣化への近道となります。

2. 飽きや面倒さに気づく「怠けを離れる精進」

マインドフルネスが続かなくなる理由の一つに、「飽き」や「面倒さ」があります。これは仏教でいう「怠け」(コーシーッタ - kosiita)の心に繋がる側面とも言えます。

仏教の精進は、「怠けを離れるように努める」ことも含みます。これは、無理やり自分を鼓舞することではなく、「あ、今、マインドフルネスをやるのが面倒だと感じているな」「座ろうと思ったけど、スマホを見てしまっているな」と、その心の状態に気づくことです。

気づくこと自体が、マインドフルネスの実践であり、また「怠け」という不善の心を理解し、そこから離れようとする精進の第一歩となります。自分を責めるのではなく、「今はこういう心の状態なのだな」と観察し、それでも「ほんの少しだけやってみようかな」と、小さな行動に移してみることが大切です。

3. 失敗しても再開する「悪を取り除く精進」

「昨日できなかったから、もうダメだ」「何日かサボってしまったから、最初からやり直しだ」と、一度中断すると再開するのが難しくなることがあります。

しかし、「既に生じてしまった悪(マインドフルネスをサボってしまった状態)」を「取り除く」という精進の視点に立てば、中断してしまったこと自体を悔やむのではなく、「よし、また今日から再開しよう」と、その場で行動を改めることが大切な精進の実践となります。

毎日完璧に続けることよりも、たとえ中断しても、気づいた時にいつでも「今、ここ」に戻ってくる柔軟さ、再開する力こそが、仏教の精進の精神であり、マインドフルネスを長く続けていく上で非常に重要な力となります。

4. 効果を焦らない「善を育み継続する精進」

マインドフルネスの効果は、すぐに劇的に現れるとは限りません。地道な実践を通じて、少しずつ心の変化が起こってくるものです。「これだけやっているのに効果がない」と感じてしまうと、継続が難しくなります。

「既に生じている善(マインドフルな心や気づき)を、さらに育て、継続する」という精進の側面は、この「焦り」を手放す助けとなります。マインドフルネスの実践そのものが「善い行い」であり、その行為を継続すること自体に価値があるのだと捉え直すことができます。

効果を測定しようとせず、「今、呼吸に気づく」「今、歩いている足の裏の感覚に気づく」といった、目の前の「気づき」を一つ一つ積み重ねていくこと自体を大切にしてみてください。それは、雪だるまを作るように、少しずつ、しかし確実に、心の状態を整え、変化させていく力となります。

まとめ:肩の力を抜いて、今この瞬間に「精進」する

マインドフルネスを習慣にすることは、時には挑戦に感じられるかもしれません。しかし、仏教の「精進」という教えは、私たちに「完璧であること」ではなく、「より良い方向へ、少しずつでも歩み続けること」の大切さを教えてくれます。

完璧を目指さず、中断しても再開し、小さな気づきを大切にする。そして、飽きや面倒さといった心の動きに気づきながら、それでも「今、この瞬間」に注意を向けるという善い行いを積み重ねていく。

この仏教の智慧「精進」の視点を取り入れることで、マインドフルネスの実践が、義務感からくる苦しい努力ではなく、自分自身の心を丁寧に育んでいくための、穏やかで確かな営みへと変わっていくことでしょう。まずは今日、ほんの数分からでも、「精進」の心を持って、マインドフルな時間を取り入れてみてはいかがでしょうか。